ちょっとここいらで小話。対人関係においてのマウント。


ちょっとここいらで小話。対人関係においてのマウント。

最近はどうにも時間がとれず更新が途絶えてしまいがちになります。

どうしてこうにも時間が取れないのか?
この理由に関しては後日にでも記事として書かせて頂こうと考えております。

ざっくりとした理由については、今年に入りかなり大型の災難が続いている。とだけお伝えしておきます。

さて今回は最近考えることとして「何故に人は人との関係性においてマウントを取ろうとするのか」




現実に接する人はもちろん、顔の見えない相手言わばネットでの対人関係においてマウントを取りたがる人というのは少なくありません。

自分の方が知っている。

自分の方が優れている。

自分の方が…

自覚症状が無く僕自身もそういった事をしてしまうことがあるのかも知れません。
ただ少なくとも「俺はそんなことをしていない」という人は大抵「自分の方が〜」となりがちだと経験上感じます。

知識量や経験値、容姿、経済力、人脈、etc

車についても同じことが言え、ヒエラルキーというものが存在し、例えばメルセデスベンツのセダンではC.E.Sと順に価格や走行性能などあらゆる面で順序がつけられています。
その順序が高ければエライとか金持ちだとか、そんな下らないことを基準に考えたくはないなあと思いつつも、どこかで上位クラスに引け目を感じたり、または下位クラスに対して優位性を感じたり、人はどこか比べたがったりすることが日常茶飯事です。

人の上に人を作らず。
そう語る福沢諭吉は日本紙幣の中で一番高価な一万円という価値のある紙に印刷されているというどこか皮肉な部分があったりしますね。

競争を否定するつもらはないのですが、マウントを取る行為、特に「自分が〜」という人はどこか満たされていない人に多い傾向があるように感じます。

人よりも知っている、持っている、恵まれている。
そう思いたくて時には人を蹴落とし、時には自分を誇大し「すごいだろう、すごいと言え」と言わんばかりのオラオラとした言葉や態度で人に迫るわけですね。

人よりも恵まれ、知り、持つことがそれほどまでに重要なのだろうか?
自分自身が幸せで満たされていればそれで良いのではないか?
欲を言えば自分自身の周りの人にも良い影響を与える様に努力できることの方が有益ではないか?

以前の記事で「ネズミ講に誘われた話」でも思うのですが、自分は自分の目指すべきゴールがあり、相手にも然り。
なら、お互いに違う道ではあれど努力して進み、高さや規模は違うかもしれないけれど、到達した景色を共有できる関係がベストなんじゃないか?と思うのですね。


男女問わず、僕が感じる尊敬される人というのは上下の関係よりも左右の関係。
縦社会ではなく横の繋がりを大切にされている方に多いように感じます。
きっとそれは上下関係という一度その関係性が決まってしまうとずっと続いてしまうものよりも左右に近い立場や趣味や思考を持つ方々との交流が活発で様々なジャンルの話を聞ける方の方が見識深く、ついでに懐も深く、楽しそうにされているからなんじゃないか?と思うところです。
ヒエラルキーの外に居て、みんなでワイワイと共感し肯定できる器になりたいものだなあと最近つくづく思います。








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